守破離から集発理へ - 人生の選択肢を増やす新しい学び方
はじめに
2017年末に開催された勉強会で、学び方に関する考えを発表したところ、アンケートなどで反響をいただいたので、ブログにも書いてみようと思います。
先に結論を書いてしまうと、これまで重要とされてきた「守破離」ではなく「集発理」という型で、継続的な学習をしようという話です。
守破離に替わる学習のフレームワーク「集発理」
- 集(しゅう)=情報収集。広く深く集めるために、師匠を複数持ち、一次情報を得るようにします。
- 発(はつ)=発信・行動。学んだ知識を仕事や生活で実践し、経験として体得します。
- 理(り)=体系化・言語化。経験を他者に理解できる状態にし、応用・再現が可能な知恵に昇華します。
勉強会では、理=「整理」と伝わってしまったようで、「整理=知識をグルーピングして整える」ことと「理=学びを実践し行動の中から、普遍性のある法則(コトワリ)を発見する」ことには違いがあると考えていますので、改めてまとめておきます。
1.僕たちが学び続けるべき理由
共同通信によると、2016年度の「自己啓発」市場の市場規模は9,000億円となり、年々拡大しているようです(2018年1月7日の記事)。
内容はともかくとしても、スキルアップのための自己投資をするビジネスパーソンが増えているのだと思います。
僕自身のことを振り返ってみれば、学生時代よりも社会人になってから自発的に勉強する時間が増えました。
きっかけはいくつかあるのですが、新卒で入社した東京の会社で、土日も関係なく朝から晩まで仕事をしていた上司が、週に何度も「これは勉強になるぞ。おすすめ。読んでおいて。」と、数冊の本をドサッとデスクに置いていくような人で、「この人はいつ勉強しているのだろう」と衝撃を受けたことが大きいかもしれません。
「社会人、すげぇ」と思って、上司に食らいつこうと、1時間早く出社して勉強する時間を取るようにしていました。
勉強の内容は、主に仕事に直結するビジネス書や専門書を読むこと。著者から提供される仕事で出会う顧客や同僚とは違った視点や知恵に触れることで、目の前の視界がパッと明るくなる経験が何度もあり、自己学習の意義を強く感じました。
その後、地方で web の仕事を始め、業界のトップランナーたちが自らの知識・スキルをアップデートすることを当たり前に習慣としていることを目の当たりにし、学び続ける大切さが身に沁みるようになりました。
学ぶことの必要性については、お正月に拝読した山口周さんの『独学の技法』に「独学が必要な 4 つの理由」が書かれており、非常に分かりやすく代弁されてましたので、備忘も兼ねて紹介します。
なお、5 つめの理由として僕が高知で働く中で感じた「地方のガラパゴス化」へのリスク対策を加えています。
1)知識の不良債権化
ビジネスパーソンが自己学習をする必要がある理由の 1 つめは、「知識の不良債権化」。続く 2 つめから 4 つめまでの理由も全て、背景にはインターネットによって全世界の情報が共有化され、超高速で社会が変化している状況があると思います。
この時代において、学んだ知識が富を生み出す(=学んだ知識により専門家として対価を貰える)期間は急速に短くなっており、常に知識をアップデートしなければ、時代遅れになってしまいます。
2)産業蒸発の時代
全世界的なテクノロジーの進化は、産業構造さえも一瞬で変えてしまう状況をもたらしました。『独学の技法』の中でも紹介されている Apple 社による携帯電話の再発明によって、携帯電話業界はガラケーからスマートフォンへ急激にシフトし、Apple 社は、日本国内の携帯電話メーカーの販売シェア率を短期間で大幅に塗り替えました。
今まで働いていた産業が消える。そんな状況が多くの業種・業態で起こり得る時代だと感じます。
2007年には影も形もなかった Apple のシェアは 5 年後に市場全体の 23% まで拡大
3)人生三毛作の時代
日本でもベストセラーとなったリンダ・グラットンさんの『LIFE SHIFT』にも記載がありますが、人間の平均寿命はどんどん長くなり、少子化も相まって、働く期間が長くなることは明白です。
あなたが今、20 代・30 代ならば、世界的にも長寿で高齢先進国の日本において、かつての「 60 歳で定年」はまったく非現実的だと思っているはずです。産業が短命化している状況に反して労働寿命が長期化しているということは、多くのビジネスパーソンが現在働いている業種・業態とは全く異なる職業に、複数回転職する可能性は高まっています。
そのような場面で新しいことを学ばなければ、産業蒸発と共に彼/彼女の活躍の場はなくなってしまうのではないでしょうか。
4)クロスオーバー人材の要請
「 T 型人材」「 π 型人材」という言葉がありますが、インターネットによって世界中の情報がいつでも取り出せるようになると、知識があることの優位性が相対的に低くなります。そこで、複数の専門領域を理解し、またそれらを組み合わせて新しい概念を生み出したり、専門家同士を結びつける役割が重要になってきます。
しかし、日本の教育システムは 1 つの専門領域を学ばせるようになっており、π 型人材になるには独学が必要になると山口さんはいいます。
Web 業界には、デザイン × マーケティング × エンジニアのような人たちがゴロゴロいて、彼らの活躍や学び方をみると、本当に専門領域が 3 つ 4 つないと専門家として価値を発揮できない時代になったなと実感します。
追記:先日、Goodpatch CEO の土屋さんとデザインコンサルタントの恭久さんとの対談で、「1つの領域のみの専門性だけで生きていくのは "仙人クラス" でないと難しい」と仰っていました。藤原和博さんの "レアカードになる方法" も同様の意味だと思います。100 人に 1 人 の専門性・自分の強みを複数掛け合わせてキャリアをデザインすることが必要になっていると感じます。
5)地方のガラパゴス化
最後は地方産業のガラパゴス化です。僕が住んでいる高知県は、市場が小さいこともあり、横のつながりや人間関係で仕事の受発注が行われることが多いです。それは良い面もあるのですが、「10年来の付き合い」で顧客や協業先を選んでいると、気づかぬうちに全世界的な変化に取り残されてしまうことを危惧しています。
付き合いが固定化する中で、インプットする情報も固定化し、地域内での「当たり前のレベル」が全国平均や業界全体と比較すると、相対的に大きく減退している事実に気づけない。それどころか業種によっては、長期間に渡り新規参入がなく、同業者の動向をそもそもチェックしていないことすら現実にあります。
自分の視点を固定化しない、思考を錆びつかせないためには、意識的に "よそ者 " =自分の生活エリアや所属しているコミュニティから外れた人や情報に触れる、 " 若者 " =若い世代の考え方や行動、新しく登場した概念を取り入れる、" 馬鹿者 " =これまでなかった考え方や行動をする人、マイノリティから学ぶことも必要だと考えています。
地方の中小企業で働く中で、より強く自分の価値観を「ガラパゴス化」させてはならない、「守破離」に頼った学習をしていてはだめだと思うようになりました。
2.「守破離」の限界
仕事におけるスキルアップの方法として、昔から言われている「守破離」という型があります。
良い上司に師事して「守破離」を実践すれば、実務に役立つノウハウを直接業務を通じて OJT で学べるでしょう。
しかし、前述したような地域内の取引先や人間関係が固定された会社で働くビジネスパーソンが、硬直的な業界の上で長年仕事をしてきた上司の指導やルールのもとで学ぶことは、リスクでしかありません。
一人の師(上司)に「弟子入り」するのではなく、社会全体を俯瞰して事業の方向性や自分のキャリアを考える必要があるのではないでしょうか。
守破離を実践するのであれば、この型のリスクについても知る必要があると考えています。
具体的に「守破離」の学びにはどんなリスクがあるでしょうか。
1)会社の上司やこれまでのルールを無条件で「守」ることのリスク
1 つは、上司の指導や過去の成功要因が、通用しなくなっているのに気づけないという点です。
僕は現在、小規模な広告代理店で働いていますが、20年前であれば、クライアントが広告代理店に商品のプロモーションを依頼する場合、多くはテレビCMのプランを検討していたと思います。しかし、現在はテレビがついていても、CMが始まると手元のスマートフォンを見ていたり、そもそもテレビを見る時間が短くなってきています。また、テレビCMは概算の視聴率は伝えられるものの、広告配信の結果、視聴者が何人いたかはわかりません。
インターネット広告であれば、視聴結果は数値データとして集計され、次回の広告の参考情報としてフィードバックされますが、このような新しい概念は、広告マンとして長年実績を積んできた世代にはわかりづらいようです。
過去の「成功体験」「成功法則」が通用しない今、上司の指導や既存の会社のルールのみを「守」って鵜呑みにするのは危険ではないでしょうか。
2)閉じた世界で情報収集し、型を「破」って独自性を構築したと勘違いするリスク
先程、地域産業における人脈や営業構造の固定化による「地方のガラパゴス化」の状況を説明しました。このリスクを強烈に感じたのは、会社の戦略を立てるシーンでのことです。
自社の競合分析を行う際、インターネット登場以前であれば商圏内の競合他社に対する自社の優位性を検討するのが定石だったのでしょう。しかし、現在では商圏は物理的な空間に閉じていません。
身近な同業者だけを比較して、自社に優位性があると考えるのは見当違いな井の中の蛙になりかねません。
勉強会などでよく話題にする例ですが、大手ファッションモール「ZOZOTOWN」の一人あたりの年間購入額で、高知県は 3 位というデータがあります。
地域のセレクトショップが、地域内のショップだけを競合と想定したのでは、かなり見込み違いの結果になるのではないでしょうか。
また、人々がスマートフォンを持ち歩き、常に商品を検索・比較・決済できることを考えれば、あらゆるサービスが競合と位置付けられる可能性があります。
守破離の「破」は、師の教えを少しずつ破棄して、自分の考えを取り入れていく工程ですが、自分の発想を産んでいる体験や情報源はガラパゴス化していないだろうか?と客観的に見てみる必要があると感じます。
3)閉じたコミュニティで視野が狭くなり、古い価値観から「離」れられなくなるリスク
好きなものが同じだったり、同じ体験を共有した仲間には、共通の価値観や愛着が生まれます。そのようなチームは、一致団結して同じ方向に走る際には爆発力を生むかもしれません。しかし、変化の激しい環境では「仲間意識」が「同調圧力」となることで、あるいは同質化・同色化することにより、正しい判断を鈍らせるリスクがあります。
これは高知県外の地方の人たちと意見交換しても、よく聴く"あるある話"なのですが、
「東京はそうかもしれないが、●●(地方)ではこんなもんだよ」
といったある種、諦めの境地で自らの成長の芽を摘んでしまうような発言や、
「でも●●(地方)においては、俺たちはスゴイよな」
という2014年頃によく聞かれた "マイルドヤンキー" というか、サル山の大将で満足といった発言をする経営者やセールスパーソンに出会う度に、なんとも言えない気持ちになります。
ちなみに、そんなことを言いながら、カラカラと嘘っぽく笑う心理を、僕は "偽ポジティブ" とか "ポジティブもどき" と呼んでいます。だって、実際、満足そうじゃないんだもん。
営業構造や人間関係が固定化しやすい地方においては、仲間と違う行動や過去の経験やルールから外れて新しいことを始めることに対し、固定化した仲間意識が自らの足を引っ張るリスクが潜んでいます。
なお、ガラパゴス化とは逆の視点になりますが、僕は地方において高い業績を上げ続けている中小企業は、大手の上場企業よりも優れた点もたくさんあると思っています。
僕は、就職先として上場企業も青色申告の個人事業主も経験し、クライアントも全国にCMを打つような企業から、2, 3 人規模の零細企業までお手伝いしていますが、予算も人材も大企業と比較すると悪条件の中で、打ち手を絞り込み、覚悟を決めて渾身の一手を打ち込むような地方の中小企業は、豊富な予算と高い学歴を持つ社員を抱える大企業よりも、突破力と決断スピードを持っているケースも多いと感じます。
だからこそ、守破離の学び方とは異なる別の発想が必要だと思うのです。
僕は今、社員数が 20 名に満たない地方の小企業のサラリーマンとして働いています。新卒で入社した上場企業とは、組織の成熟度もキャリアアップのための環境もかなり違います。大企業の福利厚生や成長環境を羨ましく思うことも多々あります。
けれども、学び方の中心を「守破離」から「集発理」へとシフトしたことで、地方の零細企業で働きながらも、働き方や社会への関わり方の多様性を拡張できていると感じています。そのチャレンジが今は面白く、楽しんで仕事や学習に打ち込めています。
前段が長くなりましたが、ここから本題。守破離に替わる「集発理」という学びの型を紹介します。
3.「集発理」の学び方
業種や業態、住む場所や働き方にかかわらず実践できる学び方です。
初めに断っておくと、この「集発理」の学び方を実践すると決断した瞬間から、「〜がないから、できない」という言い訳が許されなくなります(笑)。
でも現実に、学歴や職歴、育った環境や今の職場環境などが言い訳にならないほど、学ぶ環境、スキルアップできるチャンスは、手に入る時代だと思います。
それでは、順番に説明します。
「集」=情報を複数の師から広く集める
1つめの「集(しゅう)」は、情報収集です。守破離の「守」との違いは、教えを請い学ばせてもらう「師」を複数持つことです。自分が学びたい領域に詳しい師匠を広く日本中(あるいは世界中)から探します。
「親と上司は選べない」という言葉を聞いたことはありますか?僕は新卒で入った会社で、幹部から話を聞いた覚えがあります。
「自分も含めて完璧な人間はいないから、欠点を指摘し合うのではなく、互いに活かし合うように考えよう。上司の良いところを学び、足りない点はサポートしよう」といった話だったと記憶しています。これはこれで納得できる点もあると思います。
しかし、上司を「仕事の成果を上げる、あるいは人生をより良くするための教えを請う師」として捉えた場合、本当に僕たちは師を選べないのでしょうか?
また、その人だけを、自分のキャリアや人生における師として良いのでしょうか?
「上司から学ぶことに意味がない」といっているわけではありません。
しかし、必要な知識やスキルを学べる師足り得る人は、会社の外にもいるんじゃないでしょうか。
ググれば大抵の情報が手に入ってしまう現代において、最も価値がある情報は、その人自身が直接発信している「一次情報」です。有り難いことに、今は直接会えなくとも一次情報を得る手段が豊富にあります。SNSをフォローして発言から考え方や視点を盗む、ブログや著書などを読んで学ぶ、相手が研究者であれば論文などもインターネットで探すことができます。
僕は、(勝手に)師匠となってもらう人を決めたら SNS や書籍を通じて、師匠のスキルや考え方を学びます。また、その師が紹介している人をチェックして、その人も新たな師匠に加えたりしています。ちょっとストーカーっぽいかもしれませんが、類は友を呼ぶという言葉の通り、教えを請いたい人の周りには同じような方々が集まっているものです。
社内にて直接質問や相談ができる上司とは違い、"バーチャル上司" なのかもしれませんが、著書を複数読んだり、日々発信されている SNS の投稿などを追うことでも、学べることは多いです。書籍や論文であれば、故人からも学ぶことができますね。
最近では質問箱のようなサービスもありますし、「いつでも連絡してくれて構わない」というスタンスの方もいらっしゃるので、直接アドバイスを受けられるチャンスはあります。相手によっては、セミナー等で直接話を聞くこともできるでしょう。
その際は、予めその相手のことを知っておいたほうが、より深い質問ができ、相手にも好意的に受け取られる可能性が高くなると思います。
「集」=情報を複数の師から広く集める。
収集源としては、SNS、ブログ、書籍、論文、セミナーなどがあると思います。
できる限り加工されていない師の生の教え(一次情報)を得ることが大切です。
「発」=得た知識をそのままにせず、行動として発信する
2 つめの「発(はつ)」は、実践です。実践には、実務や生活の中で知識を活用してみる、気づいたこと・学んだことを書き出してみたり、触発されて生まれた考えがあれば誰かに話してみる、SNSで発信するなどです。
これは、やはり実務で実践してみるのが一番大きな気付きになると思います。頭の中で整理するだけでは、わかったつもりになる危険もあります。
社内にいる直属の上司とは異なり、書籍やSNSから学ぶ師と自分とは、働いている環境も異なりますので、そのままでは「教え」をうまく活用できない可能性があります。実践して、自分の仕事で活かせるようにアレンジしていく必要があります。
また、学んだことを実践した際の気づきを同僚やお客様などに話してみると、より深い気付きが得られます。機会があれば、複数の人の前でプレゼンテーションするのもお薦めです。学んだことの表面を撫でるだけでは興味を持ってもらえませんし、他者に理解してもらうにはポイントを整理し、順序立てて説明する必要があるからです。
プレゼンは準備する過程も、本番も "分かったつもり発見器" として機能して、自分の学びを深めてくれます。
発=学びを実践する・行動として自分の外に発する
発信先としては、仕事のみならず、内容によっては家庭、課外活動、SNSなどが相応しい場合もあるでしょう。できる限り頭の中に留めず、自分で実践して体験的に師の教えを確かめることが大切だと考えています。
「理」=経験を通じて得た生きた学びを体系化・言語化する
最後の「理(り)」は、複数の師から学んだことを実践し、自分の現状のレベルや状況に最適化する過程で発見した気づきを、今後も再現・横展開できる知恵としてまとめます。
体系化とは、学んだ一つひとつの要素の関係性を明らかにして整理すること。具体的には、何をどういう条件下でどういう順番で行えば再現できるのかまとめる作業になります。課題解決や問題回避の "仕組み" を組み立てるとも言いかえられるかもしれません。
また、言葉で説明できる状態にすることで、学びを他者に共有することができます。共有によって返ってくるフィードバックによって、一人では気づけなかった視点をもらえることもあります。
勉強会での登壇を何度か経験させていただいて、発信側に立つことが、最も学びが多いなぁと実感しています。
理=学びを体系化し再現可能な知恵に変える
複数の師から学んだことを実践することで、自分の環境で実際に使えるノウハウとしてまとめます。集→発→理は繰り返し行うことでより洗練されていきます。
追記:何度か登場した、書籍『独学の技術』に、アインシュタインの思考プロセスを図示したものが掲載されていました。
これ、まさに集発理の概念通りじゃん!と一人興奮したので、ここでも紹介します。
簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。
以上、複数の師匠から学び(集)、学んだことを自分の現実に照らして実行して(発)、応用できるノウハウとしてまとめる(理)という「集発理」の学びを継続・習慣化することで、一人の師に学ぶよりも速く、実践的な学びを得ることができ、この変化の激しい時代を楽しく漕ぎわたっていけるのではないかと考えています。
4.おわりに
ビジネスパーソンが学び続ける必要性と、今の時代に合った学習の型(フレームワーク)として「集発理」を紹介しました。
「学ぶ必要があるから学ぶ」という発想も、きっかけとしては機能すると思いますが、しかし、いちばん大切なことは「学ぶことは楽しい」ということを思い出すことじゃないかと感じます。
小さな子どもの頃、僕たちは誰に強制されるでもなく、新しいことをどんどん学んでいきました。それが学生になり「進学や就職に有利」といった良くわからない理由で「学ばねばならない」という価値観が染み付いてないでしょうか。
かつての僕は、そうでした。
でも、今は違います。
学ぶことで実力がつき、自分以外の人に喜んでもらえる、貢献できることの喜び。
学ぶことで、世界の見え方が変わってくる。
パっと視界が拡がり、可能性が拓けてくる。
人生が楽しくなってくる。
学ぶとは、世界を知ること。
世界を知ることは、「まだ自分が知らない」ということを知ること。
それは、人間が本来持っている根源的な欲求ではないでしょうか。
学び続け、成長し続け、新しい発見にワクワクしながら進んでいきたいものです。
最後まで、お読みくださりありがとうございました!(ほ)
P. S.
欲求というキーワードで思い出しましたが、マズローの欲求5段階説を表すプラミッド型の図に以前から違和感があります。
これは、また別の機会に書いてみたいと思います。
考えをまとめる上で参考になった本など
このブログについて
このブログについて
Web プランナー Hosaka が、仕事をする中で感じたことや考えたこと、書籍やセミナーなどから学んだことについて書いていく予定です。
中の人
高知の web プランナー Hosaka / Hokuto Sakaue(@hosaka7s)です。
中小・ベンチャー支援会社で複数の新規事業の立ち上げを経験した後、学生時代を過ごした高知へ U ターン。中小企業の web 活用を支援する仕事をしています。
高知は美味しいものが多くて、飲み歩き楽しいです。
ブログ名とブログを書く目的について
Let's Start from Here. がブログ名です。
"今ここから、始めよう" という意味を込めました。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
これは、ウィリアム・ジェイムズさんの有名な言葉ですが、僕たち人間は「変えたいと思っても変えられない」「分かっちゃいるけど、できない」と言い訳してしまうことがあるのではないでしょうか。
ダグラス・アダムスさんによると、僕たちは35歳以降になって発明されたテクノロジーや概念を受け入れづらくなるという話もあります。
僕たちは、ある分野で一定の経験を積むことによって、会社や対外的な評価を受けるようになり、やがてそれを守ろうという心理が働くようになるのではないでしょうか。
それをある程度の期間続けることで、これまでの価値観や習慣から抜け出せなくなり、手に入れた地位や評価を失うことを恐れるようになる。
でも、これはとても勿体無いことだと思うのです。
インターネットの登場により、世界は繋がり、人類史上最大の大きな変化が起こっています。
そのような時代に、過去の経験や常識に縛られていると、この変化を受け入れて乗りこなし、あるいは変化をつくる側に立つというチャンスを失ってしまうのではないでしょうか。
過去に縛られず、"いまここ" に生きる。そして、人生を最高に楽しむためには、好奇心と素直な心を失わずに、新しいことにチャレンジする精神を忘れないことが大切なのではないか。仕事をする中で、そんなことを思うようになりました。
このブログは、自分に内在する保身や現状維持の心を叱咤激励するために、学んだことや気づいたこと、感じたことを書き留め、同じ時代を生きる皆さんとシェアしたと考えて書き始めました。
書きながら、興味の幅が広がったり、この世界のことを今よりも深く知ることができたらいいなと思います。
まずは、ちゃんと継続できるようにしなくっちゃ。
「多動力」と「やり抜く力」〜人生を楽しく漕ぎ渡るための力〜
ベストセラーとなっている、ホリエモンこと堀江貴文さんの著書『多動力』。
精力的に多方面で活躍を続ける、堀江さんの考え方を知ることができる本です。章立ても主張もわかりやすく、1時間以内にサクッと読めます。
特に仕事において、日頃は明確に意識せずに不満や不安を抱いているようなテーマについて、堀江さんらしい切れ味ある独自の視点を提供してくれているため、自分自身の働き方や、仕事をより良くしたいと考えている人におすすめです。
「常識」に囚われていた自分に気づける本。
僕自身、最初に手に取った時には勘違いしていたのですが、『多動力』というタイトルや「Just Do It(とにかく動け)」という部分のみで理解すると、"広くて浅いやつ もう Good night" になりそうなので、自戒を込めて書き残すことにしました。
実際、そんな簡単なもんじゃない。
個人的に、この本を読んで再認識したことは 3 つ。
- 多動力は、闇雲に広く浅く手を出すことではない。
- すべては、「ハマる」ことから始まる
- 多動力は、教養という幹があって初めて機能する力
多動力を考えるにあたり、『多動力』と同時期に手に取った、『GRIT -やり抜く力-』という本も参考になったので併せてご紹介。
「多動力」と「やり抜く力」。タイトルだけでは一見、矛盾するようなこの2つの能力は、矛盾するどころか密接に関係していました。
その気づきのプロセスを以下に記載します。
本を読みながら、「守破離から集発理へ」というキーワードが頭に浮かんだので、別の機会に改めて書きたいと思います。
もくじ
「多動力」と「やり抜く力」は、矛盾する?
堀江さんの『多動力』と同時期に翻訳された、アンジェラ・ダックワースさんの『GRIT -やり抜く力 - 』 という本があります。
一見すると、次から次へと新しいことをハシゴする「多動力」と、一つのことを最後まで諦めない「やり抜く力」は矛盾する能力に思えます。
この 2 冊を両方読んで、二人の主張を比較しようと考えたのですが、読み終えて今、この2つの力は密接に関係していることがわかりました。
と、いうより、「やり抜く力」は「多動力」の基礎となる力じゃないかと考えています。
順を追って、2 つの力の関係を見ていきます。
多動力は、闇雲に広く浅く手を出すことではない。
本文中に、「一日10軒以上ハシゴしろ」という表現が出てきます。
たくさんの気になるお店があった場合、多くの人は「今回はこのお店にして、また次の機会あったら他も行こう」と考えがちですが、堀江さんは各お店でおすすめの品だけを食べて次の店に行けば、一晩に 10 軒回ることができる、といいます。
これ、凝り固まった発想を壊すためにやってみてもいいかもしれませんが、何も考えずに真似をしても意味が無いと思います。
恐らく「大切な人と美味しいものを食べて、ゆっくり話をしたい」場合、堀江さんでも「 10軒 回る」ことはしないのではないでしょうか。
しかし、「この街で美味しいと言われているお店を全部回りたい」という目的があったなら、行動が変わってくる。地球の裏側の街で、あと3時間しか滞在できないとしたら、一品ずつ食べて行きたいお店をすべて回ろうとも考える気がします。
この場合は、一晩に 10 軒ハシゴしよう、にも納得感があります。堀江さんは、日頃からそういった感覚で生活しているのかもしれません。
自分自身を振り返ると、学生の時に、とにかくいろんな場に顔を出して、たくさんの人と出会うことに躍起になっていた時期がありました。
しかし、その時の活動の結果、現在までつながっている活動や人脈は、あまりありません。
確かに走り回っていましたが、これは堀江さんのいう「多動力」とは非なるものです。
今、冷静に振り返ると、まずこの行動の明確な目的がない。
学校の外に知り合いがたくさんいる、外の世界を知っている(つもりになる)ことが、価値あるものだと思いこんでいて、毎日、新しい人と出会って、初めてのイベントや会合に顔を出す。そして、「こんな人に会った、こんなことを知った」とインスタントに経験を積んだ気持ちになって、なんとなく満足していました。
それから、「自己満足」でしかなかった。これが、個人的には大きな反省点です。
多動力のいう様々な領域を飛び越えて、新しい価値を生み出すということは、必ず自分以外の誰かと接点を持つことになります。
堀江さんのように、様々な役割・肩書を持ち、それを同時に複数進行させようとするなら、なおさら1人で完結する仕事は少ないでしょう。
「自己満足」ではなく、「他者への貢献」が必要だと思うのです。
例えば、「目的」も「他者への貢献」もない状態で、異業種交流会などに参加して、名刺を配りまくったり、Facebookの友達を増やしても、なんの意味もないでしょう。
後から振り返って、虚しい気持ちになってくると思います。
これでは、多動力のいう「領域の越境」とは言えず、ただのつまみ食いでしかない。
テクノロジーとアートを繋いでいる“現代の魔法使い”こと、落合陽一さんが以下のようなツイートをしていました。
ラボの学生の傾向を見てると,ネタを決めて,浮気せずに続けられるかどうかが一番重要だと思う.成功するのは2タイプ.1.集中力と頭の回転と実装力と統率力があって高速に回せるタイプ.多動だが毎回決着.2.マイペースだが不満を漏らさず淡々とやって成果を出すタイプ.
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2017年8月18日
地力不足の多動は悲惨.
地力不足の多動は悲惨
グサリとくる言葉です。
また、堀江さんも紹介している、元リクルートの藤原さんの「レアカードになる方法」では、まずひとつの領域で、1万時間の経験を積み、「プロ」や「専門家」と呼ばれる100人に一人の人材になる。
その後に、次の領域へと移っていくというプロセスを3度繰り返すことで、1/100×1/100×1/100=1/1,000,000の「レア」な存在になれると説いています。
堀江さんやイーロン・マスクさんは、これが普通の人よりも速いということなんだと思います。
そして、何故速いかといえば、落合さんがいうところの「地力」が強いから。
多動力は、業界を縦に仕切っている壁がないかのように、横に自由に移動する力。
イメージとしては、反復横跳びが近いのかなと思います。
真上にジャンプしたり、一方向に進むのではなく、横方向に高速で移動するには足腰や肚(丹田)の筋力が必要です。
この筋力は一朝一夕では強化できないですが、一方で、身に付ければ身体全体を支える軸となる力になり、前後左右に高速に動いてもブレない地力になる。
すべては、「ハマる」ことから始まる
堀江さんは、「猿のようにハマり、鳩のように飽きよ」とも書かれていますが、まず1つのことに「ハマる」ことが大事で、1つのことをやり切った結果、皮膚感覚レベルで得られた気づきが、別のことを始めた際にも生きてくるのだと思うのです。
まだ「猿のようにハマる」ことをすべきステージにいるのに、ハマるまで集中して1つのコトをやっていない状態で、すぐに「向いていない」とか「おもしろくない」と飽きてしまうと多動力のベースとなる「一つのことをやり抜く力」が身につかないんじゃないでしょうか。
堀江さんの前著『ゼロ』には、「なにもない自分に小さなイチを足していく」というキャッチコピーがついていて、とても共感したのですが、同じ人物が「ハシゴしまくる生き方」を語っているのは、矛盾でも何でもないわけです。
「イチを足していく力」=「やり抜く力」は、「多動力」のベースであり、様々な領域を越境していくための足腰の力なんだと気付かされました。
ただし、今の時代はこの「足腰を鍛えるための練習」を、何年もかけてのんびりやってられない。
これは、と思ったら一気にハマり、短期間で1/100を身につけて、次のことにまたハマるということが必要です。
堀江さんは以前、「寿司屋に下積み修行は不要」というような発言をして物議を呼んでいましたが、実際、1人の師匠について長い時間をかけて一つずつ積み上げていく学習方法は、もう時代にマッチしないと思います。
これについては、長くなりそうなので、また別の機会に書きます。
多動力の基礎となる「幹=教養」を身につけるために必要な「やり抜く力」
知識労働、いや知識と経験を掛け合わせた「知恵」こそが付加価値の源泉となる今の時代に必要なものは「教養」であるということも学びました。
本の中で、堀江さんが逮捕された後、「検察」について海外の事例や歴史的背景を徹底的に調べ尽くして理解した、というエピソードが出てきますが、堀江さんは教育に関しても、戦後の義務教育がどのように成立したのか等も勉強されていて、このような知識が土台にあって、活動の幅を拡げるからこそ、幅広い分野で活躍(貢献)できるのだと思います。
モノゴトの根幹を理解しているからこそ、どんな領域であっても高速に、
あるいは瞬間的にポイントを掴んで全体像を把握することができる。
そして、教養はつまみ食いしているだけでは身につかない。
1つのことを深く理解するために、広く見識を集め、実際に体験し、自分の頭で突き詰めて考えて初めて鍛えられるものだと思います。
書籍『GRIT』には、やり抜く力をスコアリングするテストがありますが、僕のスコアは平均値よりもかなり低いものでした。
つまり、伸びしろがあるってことですw。
落ち着きがないという多動力の才能?は、持って生まれていますので(朝着替えながら、別のことを考えていて、前後逆にシャツを来ていたり、出掛けにふと思いついたことをメモしようとしてスリッパのまま外に出たりする…)、やり抜く力を鍛えて多動力を身につけ、自分が生まれたこの時代を楽しんで生きていきたいと思いました。
堀江さんの『多動力』、おすすめです。
読まれていない方は『ゼロ』も一緒に読むと主張の背景が理解できると思います。
そういえば、何かと話題のキンコン西野さんもおすすめされてました。
この方も、多動力を十二分に発揮されていますよね。
西野さん!朝日新聞に『多動力』の素晴らしい書評ありがとうございました!めちゃ反響あります🤑
— 箕輪厚介 (@minowanowa) 2017年8月13日
堀江さん!西野さんより「堀江さん、肉おごってください」とのことです!笑
『多動力』https://t.co/juzUjHspnk@nishinoakihiro @takapon_jp pic.twitter.com/jqDEpsax2E
まとめ
多動力とやり抜く力。
すごいスピードで変化していく今の時代を生きる僕たちの指針となる能力なんじゃないかと思いました。
折角、この時代に生まれたのだから、人生を全力で楽しみながら漕ぎ渡っていきたい。パワーを貰えました。
まだ、読まれていない方は、ぜひ。
やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
- 作者: アンジェラ・ダックワース,神崎朗子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/09/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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販促活動で成果を上げるための必須の視点=体系化・数値化
再現性のあるノウハウは、体系化されている
大リーガーのイチロー選手は、「あなたは自分を天才だと思いますか?」という質問に対し、
「僕は天才ではありません。なぜかというと自分がどうしてヒットを打てるのかを説明できるからです。」
と答えています。
「説明できる」ということは、どうやったらヒットを打つためのノウハウを自分の中で体系化されているんだろうと思います。だから、長期に渡って成果を上げ続けることができるし、基準があるからさらに進化させていったり、不調の時にも原点に戻って修正することができる。
僕はビジネスパーソンとしてのキャリアを、フランチャイズビジネスの立ち上げという仕事からスタートしました。僕にとって幸運だったのは、このフランチャイズという形態が体系化を前提としているビジネスだったことです。FC本部は、加盟店にマニュアルとスーパーバイジングという形でノウハウを提供しており、このノウハウが業態の強みであり、かつ加盟店に提供する商品になります。だから、本部は加盟店が再現できるよう、あらゆる活動を体系化しなくてはいけません。
この考え方が、Web業界に転職した際に大いに役に立ちました。
数字の収集が容易なWebの世界
Web制作会社で最初に担当したのはECサイトの運営。訪問者数、滞在時間、直帰率、購買率など、顧客の顔が見えない代わりに、顧客の行動を数字で把握できるECサイトは、FC店舗で自分でつくったチラシをポスティングして回りながら、配布枚数を地図にメモして手作業で集計するのと比較すると、なんて素晴らしいんだろうと感動したものです。
そんなWeb専業の会社を経て、Webを基点としながら様々な販促手法を組み合わせたマーケティング支援をしたいと広告代理店で働き始めましたが、すぐに違和感を感じました。マスメディアの広告について、費用対効果を十分計測・検証していないように思えたからです。
Web=計測可能、Real=計測不可能?
「テレビCMの成果は具体的にはわからないけど、お茶の間に配信できるから、認知拡大に効果がある」「新聞は◯◯世帯に配布されているし、信頼性の高いメディアだから効果がある」
・・・このような発言を聴くたびに、論理の飛躍を感じざるを得ませんでした。
もちろん、効果がないとも思っていませんでしたが、施策の実施結果を数値で把握し、成功するためのノウハウを体系化することが前提のフランチャイズビジネスや、目標に至るステップを分解し、すべて数値化してステップごとに改善していくECサイトの視点で考えると、あまりにザックリしていて、実施の可否を決断する材料としては不十分に感じたのです。
UFJをV字回復させた森岡毅さんが教えてくれる体系化された実践的マーケティング
そんな時に出会ったのが、現ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのCMOであり、窮地にあったUFJをV字回復させた森岡毅さんの書籍。
以前、「プロフェッショナル 仕事の流儀」を拝見して名前は知っていたのですが、本を拝見して森岡さんのノウハウに驚嘆しました。
現在、森岡さんの著書は2016年7月現在、3冊出版されていますが、3冊目の『確率思考の戦略論』に関しては、巻末で50ページに渡って数式が紹介されており、今の僕には異次元過ぎて活用できるまでに何年か掛かりそうです。
しかし、森岡さんがブランドマネジャーとして活躍されていたP&Gにしても、 森岡さんがUFJで仕掛けられているマーケティング施策にしても、目標達成のための指標を数値化し、施策を体系化し、実施結果を分析してノウハウをブラッシュアップさせている事実があり、あらゆる活動が体系化・数値化可能であることを再認識させてくれました。
Webサイト基点のマーケティング
現在、僕が関わっているクライアントは中小・零細企業がほとんどです。中小企業を対象としたコンサルティング会社で働いていた時は、クライアントは中小企業でも自分は上場企業の環境で働いていたので気づけなかったのですが、小さな会社では圧倒的に人的リソースが不足しており、ビジネスをスケールするための資金力もありません。
そんな中でやはり、巨額のCM制作費を使わずとも、地理的ハードルを超えることのできるWebは、注力すべきチャネルだと思います。
見込客をWebサイトに誘導し、その行動を数値として収集し、商品開発や販促活動にフィードバックすることができれば、少ない人数、少ない予算でも、施策の実行・数値化・体系化が可能となります。
自社の商品やサービスの何が見込客にとっての価値であるか、客観的な数値を元に把握することができれば、その気づきを横展開していくことができるはずです。
久しぶりに学習欲が高まっているのを感じていますが、確率統計など森岡さんが紹介されている数式にざっと目を通すと、僕の場合は、高校数学からやり直しになりそうです。。。