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守破離から集発理へ - 人生の選択肢を増やす新しい学び方

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はじめに

2017年末に開催された勉強会で、学び方に関する考えを発表したところ、アンケートなどで反響をいただいたので、ブログにも書いてみようと思います。

先に結論を書いてしまうと、これまで重要とされてきた守破離ではなく「集発理」という型で、継続的な学習をしようという話です。

 

守破離に替わる学習のフレームワーク「集発理」

 

  • 集(しゅう)=情報収集。広く深く集めるために、師匠を複数持ち、一次情報を得るようにします。
  • 発(はつ)=発信・行動。学んだ知識を仕事や生活で実践し、経験として体得します。
  • 理(り)=体系化・言語化。経験を他者に理解できる状態にし、応用・再現が可能な知恵に昇華します。

勉強会では、理=「整理」と伝わってしまったようで、「整理=知識をグルーピングして整える」ことと「理=学びを実践し行動の中から、普遍性のある法則(コトワリ)を発見する」ことには違いがあると考えていますので、改めてまとめておきます。

 

 

1.僕たちが学び続けるべき理由

共同通信によると、2016年度の「自己啓発」市場の市場規模は9,000億円となり、年々拡大しているようです(2018年1月7日の記事)。
内容はともかくとしても、スキルアップのための自己投資をするビジネスパーソンが増えているのだと思います。

 

僕自身のことを振り返ってみれば、学生時代よりも社会人になってから自発的に勉強する時間が増えました。
きっかけはいくつかあるのですが、新卒で入社した東京の会社で、土日も関係なく朝から晩まで仕事をしていた上司が、週に何度も「これは勉強になるぞ。おすすめ。読んでおいて。」と、数冊の本をドサッとデスクに置いていくような人で、「この人はいつ勉強しているのだろう」と衝撃を受けたことが大きいかもしれません。
「社会人、すげぇ」と思って、上司に食らいつこうと、1時間早く出社して勉強する時間を取るようにしていました。

 

勉強の内容は、主に仕事に直結するビジネス書や専門書を読むこと。著者から提供される仕事で出会う顧客や同僚とは違った視点や知恵に触れることで、目の前の視界がパッと明るくなる経験が何度もあり、自己学習の意義を強く感じました。

 

その後、地方で web の仕事を始め、業界のトップランナーたちが自らの知識・スキルをアップデートすることを当たり前に習慣としていることを目の当たりにし、学び続ける大切さが身に沁みるようになりました。

 

学ぶことの必要性については、お正月に拝読した山口周さんの『独学の技法』に「独学が必要な 4 つの理由」が書かれており、非常に分かりやすく代弁されてましたので、備忘も兼ねて紹介します。
なお、5 つめの理由として僕が高知で働く中で感じた「地方のガラパゴス化」へのリスク対策を加えています。

 

1)知識の不良債権


ビジネスパーソンが自己学習をする必要がある理由の 1 つめは、「知識の不良債権化」。続く 2 つめから 4 つめまでの理由も全て、背景にはインターネットによって全世界の情報が共有化され、超高速で社会が変化している状況があると思います。
この時代において、学んだ知識が富を生み出す(=学んだ知識により専門家として対価を貰える)期間は急速に短くなっており、常に知識をアップデートしなければ、時代遅れになってしまいます

 

2)産業蒸発の時代


全世界的なテクノロジーの進化は、産業構造さえも一瞬で変えてしまう状況をもたらしました。『独学の技法』の中でも紹介されている Apple 社による携帯電話の再発明によって、携帯電話業界はガラケーからスマートフォンへ急激にシフトし、Apple 社は、日本国内の携帯電話メーカーの販売シェア率を短期間で大幅に塗り替えました。
今まで働いていた産業が消える。そんな状況が多くの業種・業態で起こり得る時代だと感じます。

 

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2007年には影も形もなかった Apple のシェアは 5 年後に市場全体の 23% まで拡大

 

3)人生三毛作の時代


日本でもベストセラーとなったリンダ・グラットンさんの『LIFE SHIFT』にも記載がありますが、人間の平均寿命はどんどん長くなり、少子化も相まって、働く期間が長くなることは明白です。
あなたが今、20 代・30 代ならば、世界的にも長寿で高齢先進国の日本において、かつての「 60 歳で定年」はまったく非現実的だと思っているはずです。産業が短命化している状況に反して労働寿命が長期化しているということは、多くのビジネスパーソン現在働いている業種・業態とは全く異なる職業に、複数回転職する可能性は高まっています。
そのような場面で新しいことを学ばなければ、産業蒸発と共に彼/彼女の活躍の場はなくなってしまうのではないでしょうか。

 

4)クロスオーバー人材の要請


「 T 型人材」「 π 型人材」という言葉がありますが、インターネットによって世界中の情報がいつでも取り出せるようになると、知識があることの優位性が相対的に低くなります。そこで、複数の専門領域を理解し、またそれらを組み合わせて新しい概念を生み出したり、専門家同士を結びつける役割が重要になってきます。

しかし、日本の教育システムは 1 つの専門領域を学ばせるようになっており、π 型人材になるには独学が必要になると山口さんはいいます。


Web 業界には、デザイン × マーケティング × エンジニアのような人たちがゴロゴロいて、彼らの活躍や学び方をみると、本当に専門領域が 3 つ 4 つないと専門家として価値を発揮できない時代になったなと実感します。

 

追記:先日、Goodpatch CEO の土屋さんとデザインコンサルタントの恭久さんとの対談で、「1つの領域のみの専門性だけで生きていくのは "仙人クラス" でないと難しい」と仰っていました。藤原和博さんの "レアカードになる方法" も同様の意味だと思います。100 人に 1 人 の専門性・自分の強みを複数掛け合わせてキャリアをデザインすることが必要になっていると感じます。


5)地方のガラパゴス化


最後は地方産業のガラパゴス化です。僕が住んでいる高知県は、市場が小さいこともあり、横のつながりや人間関係で仕事の受発注が行われることが多いです。それは良い面もあるのですが、「10年来の付き合い」で顧客や協業先を選んでいると、気づかぬうちに全世界的な変化に取り残されてしまうことを危惧しています。


付き合いが固定化する中で、インプットする情報も固定化し、地域内での「当たり前のレベル」が全国平均や業界全体と比較すると、相対的に大きく減退している事実に気づけない。それどころか業種によっては、長期間に渡り新規参入がなく、同業者の動向をそもそもチェックしていないことすら現実にあります。

 

自分の視点を固定化しない、思考を錆びつかせないためには、意識的に "よそ者 " =自分の生活エリアや所属しているコミュニティから外れた人や情報に触れる、 " 若者 " =若い世代の考え方や行動、新しく登場した概念を取り入れる、" 馬鹿者 " =これまでなかった考え方や行動をする人、マイノリティから学ぶことも必要だと考えています。


地方の中小企業で働く中で、より強く自分の価値観を「ガラパゴス化」させてはならない、「守破離」に頼った学習をしていてはだめだと思うようになりました。

 

2.「守破離」の限界


仕事におけるスキルアップの方法として、昔から言われている守破離という型があります。
良い上司に師事して「守破離」を実践すれば、実務に役立つノウハウを直接業務を通じて OJT で学べるでしょう。

しかし、前述したような地域内の取引先や人間関係が固定された会社で働くビジネスパーソンが、硬直的な業界の上で長年仕事をしてきた上司の指導やルールのもとで学ぶことは、リスクでしかありません。

一人の師(上司)に「弟子入り」するのではなく、社会全体を俯瞰して事業の方向性や自分のキャリアを考える必要があるのではないでしょうか。
守破離を実践するのであれば、この型のリスクについても知る必要があると考えています。

具体的に「守破離」の学びにはどんなリスクがあるでしょうか。 

1)会社の上司やこれまでのルールを無条件で「守」ることのリスク

1 つは、上司の指導や過去の成功要因が、通用しなくなっているのに気づけないという点です。
僕は現在、小規模な広告代理店で働いていますが、20年前であれば、クライアントが広告代理店に商品のプロモーションを依頼する場合、多くはテレビCMのプランを検討していたと思います。しかし、現在はテレビがついていても、CMが始まると手元のスマートフォンを見ていたり、そもそもテレビを見る時間が短くなってきています。また、テレビCMは概算の視聴率は伝えられるものの、広告配信の結果、視聴者が何人いたかはわかりません。
インターネット広告であれば、視聴結果は数値データとして集計され、次回の広告の参考情報としてフィードバックされますが、このような新しい概念は、広告マンとして長年実績を積んできた世代にはわかりづらいようです。


過去の「成功体験」「成功法則」が通用しない今、上司の指導や既存の会社のルールのみを「守」って鵜呑みにするのは危険ではないでしょうか。

 

2)閉じた世界で情報収集し、型を「破」って独自性を構築したと勘違いするリスク

先程、地域産業における人脈や営業構造の固定化による「地方のガラパゴス化」の状況を説明しました。このリスクを強烈に感じたのは、会社の戦略を立てるシーンでのことです。
自社の競合分析を行う際、インターネット登場以前であれば商圏内の競合他社に対する自社の優位性を検討するのが定石だったのでしょう。しかし、現在では商圏は物理的な空間に閉じていません。
身近な同業者だけを比較して、自社に優位性があると考えるのは見当違い井の中の蛙になりかねません。

勉強会などでよく話題にする例ですが、大手ファッションモール「ZOZOTOWN」の一人あたりの年間購入額で、高知県は 3 位というデータがあります。
地域のセレクトショップが、地域内のショップだけを競合と想定したのでは、かなり見込み違いの結果になるのではないでしょうか。


また、人々がスマートフォンを持ち歩き、常に商品を検索・比較・決済できることを考えれば、あらゆるサービスが競合と位置付けられる可能性があります。
守破離の「破」は、師の教えを少しずつ破棄して、自分の考えを取り入れていく工程ですが、自分の発想を産んでいる体験や情報源はガラパゴス化していないだろうか?と客観的に見てみる必要があると感じます。


3)閉じたコミュニティで視野が狭くなり、古い価値観から「離」れられなくなるリスク


好きなものが同じだったり、同じ体験を共有した仲間には、共通の価値観や愛着が生まれます。そのようなチームは、一致団結して同じ方向に走る際には爆発力を生むかもしれません。しかし、変化の激しい環境では「仲間意識」が「同調圧力」となることで、あるいは同質化・同色化することにより、正しい判断を鈍らせるリスクがあります。

これは高知県外の地方の人たちと意見交換しても、よく聴く"あるある話"なのですが、

「東京はそうかもしれないが、●●(地方)ではこんなもんだよ」

といったある種、諦めの境地で自らの成長の芽を摘んでしまうような発言や、

「でも●●(地方)においては、俺たちはスゴイよな」

という2014年頃によく聞かれた "マイルドヤンキー" というか、サル山の大将で満足といった発言をする経営者やセールスパーソンに出会う度に、なんとも言えない気持ちになります。

ちなみに、そんなことを言いながら、カラカラと嘘っぽく笑う心理を、僕は "偽ポジティブ" とか "ポジティブもどき" と呼んでいます。だって、実際、満足そうじゃないんだもん。

営業構造や人間関係が固定化しやすい地方においては、仲間と違う行動や過去の経験やルールから外れて新しいことを始めることに対し、固定化した仲間意識が自らの足を引っ張るリスクが潜んでいます。

 

なお、ガラパゴス化とは逆の視点になりますが、僕は地方において高い業績を上げ続けている中小企業は、大手の上場企業よりも優れた点もたくさんあると思っています。
僕は、就職先として上場企業も青色申告個人事業主も経験し、クライアントも全国にCMを打つような企業から、2, 3 人規模の零細企業までお手伝いしていますが、予算も人材も大企業と比較すると悪条件の中で、打ち手を絞り込み、覚悟を決めて渾身の一手を打ち込むような地方の中小企業は、豊富な予算と高い学歴を持つ社員を抱える大企業よりも、突破力と決断スピードを持っているケースも多いと感じます。

だからこそ、守破離の学び方とは異なる別の発想が必要だと思うのです。

 

僕は今、社員数が 20 名に満たない地方の小企業のサラリーマンとして働いています。新卒で入社した上場企業とは、組織の成熟度もキャリアアップのための環境もかなり違います。大企業の福利厚生や成長環境を羨ましく思うことも多々あります。
けれども、学び方の中心を「守破離」から「集発理」へとシフトしたことで、地方の零細企業で働きながらも、働き方や社会への関わり方の多様性を拡張できていると感じています。そのチャレンジが今は面白く、楽しんで仕事や学習に打ち込めています。

前段が長くなりましたが、ここから本題。守破離に替わる「集発理」という学びの型を紹介します。

 

3.「集発理」の学び方

業種や業態、住む場所や働き方にかかわらず実践できる学び方です。
初めに断っておくと、この「集発理」の学び方を実践すると決断した瞬間から、「〜がないから、できない」という言い訳が許されなくなります(笑)。
でも現実に、学歴や職歴、育った環境や今の職場環境などが言い訳にならないほど、学ぶ環境、スキルアップできるチャンスは、手に入る時代だと思います。

 

それでは、順番に説明します。

 

「集」=情報を複数の師から広く集める

1つめの「集(しゅう)」は、情報収集です。守破離の「守」との違いは、教えを請い学ばせてもらう「師」を複数持つことです。自分が学びたい領域に詳しい師匠を広く日本中(あるいは世界中)から探します。

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SNSや書籍を通じて複数の「師」を持つことができる時代

「親と上司は選べない」という言葉を聞いたことはありますか?僕は新卒で入った会社で、幹部から話を聞いた覚えがあります。
「自分も含めて完璧な人間はいないから、欠点を指摘し合うのではなく、互いに活かし合うように考えよう。上司の良いところを学び、足りない点はサポートしよう」といった話だったと記憶しています。これはこれで納得できる点もあると思います。

しかし、上司を「仕事の成果を上げる、あるいは人生をより良くするための教えを請う師」として捉えた場合、本当に僕たちは師を選べないのでしょうか?
また、その人だけを、自分のキャリアや人生における師として良いのでしょうか?

「上司から学ぶことに意味がない」といっているわけではありません。
しかし、必要な知識やスキルを学べる師足り得る人は、会社の外にもいるんじゃないでしょうか。

 

ググれば大抵の情報が手に入ってしまう現代において、最も価値がある情報は、その人自身が直接発信している「一次情報」です。有り難いことに、今は直接会えなくとも一次情報を得る手段が豊富にあります。SNSをフォローして発言から考え方や視点を盗む、ブログや著書などを読んで学ぶ、相手が研究者であれば論文などもインターネットで探すことができます。


僕は、(勝手に)師匠となってもらう人を決めたら SNS や書籍を通じて、師匠のスキルや考え方を学びます。また、その師が紹介している人をチェックして、その人も新たな師匠に加えたりしています。ちょっとストーカーっぽいかもしれませんが、類は友を呼ぶという言葉の通り、教えを請いたい人の周りには同じような方々が集まっているものです。

社内にて直接質問や相談ができる上司とは違い、"バーチャル上司" なのかもしれませんが、著書を複数読んだり、日々発信されている SNS の投稿などを追うことでも、学べることは多いです。書籍や論文であれば、故人からも学ぶことができますね。
最近では質問箱のようなサービスもありますし、「いつでも連絡してくれて構わない」というスタンスの方もいらっしゃるので、直接アドバイスを受けられるチャンスはあります。相手によっては、セミナー等で直接話を聞くこともできるでしょう。
その際は、予めその相手のことを知っておいたほうが、より深い質問ができ、相手にも好意的に受け取られる可能性が高くなると思います。

「集」=情報を複数の師から広く集める。

「集発理」の集は複数の情報源から広く情報収集すること

「集発理」の「集」

収集源としては、SNS、ブログ、書籍、論文、セミナーなどがあると思います。
できる限り加工されていない師の生の教え(一次情報)を得ることが大切です。

「発」=得た知識をそのままにせず、行動として発信する

2 つめの「発(はつ)」は、実践です。実践には、実務や生活の中で知識を活用してみる、気づいたこと・学んだことを書き出してみたり、触発されて生まれた考えがあれば誰かに話してみる、SNSで発信するなどです。

これは、やはり実務で実践してみるのが一番大きな気付きになると思います。頭の中で整理するだけでは、わかったつもりになる危険もあります。
社内にいる直属の上司とは異なり、書籍やSNSから学ぶ師と自分とは、働いている環境も異なりますので、そのままでは「教え」をうまく活用できない可能性があります。実践して、自分の仕事で活かせるようにアレンジしていく必要があります。


また、学んだことを実践した際の気づきを同僚やお客様などに話してみると、より深い気付きが得られます。機会があれば、複数の人の前でプレゼンテーションするのもお薦めです。学んだことの表面を撫でるだけでは興味を持ってもらえませんし、他者に理解してもらうにはポイントを整理し、順序立てて説明する必要があるからです。
プレゼンは準備する過程も、本番も "分かったつもり発見器" として機能して、自分の学びを深めてくれます。

発=学びを実践する・行動として自分の外に発する

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「集発理」の「発」


発信先としては、仕事のみならず、内容によっては家庭、課外活動、SNSなどが相応しい場合もあるでしょう。できる限り頭の中に留めず、自分で実践して体験的に師の教えを確かめることが大切だと考えています。


「理」=経験を通じて得た生きた学びを体系化・言語化する

最後の「理(り)」は、複数の師から学んだことを実践し、自分の現状のレベルや状況に最適化する過程で発見した気づきを、今後も再現・横展開できる知恵としてまとめます。
体系化とは、学んだ一つひとつの要素の関係性を明らかにして整理すること。具体的には、何をどういう条件下でどういう順番で行えば再現できるのかまとめる作業になります。課題解決や問題回避の "仕組み" を組み立てるとも言いかえられるかもしれません。
また、言葉で説明できる状態にすることで、学びを他者に共有することができます。共有によって返ってくるフィードバックによって、一人では気づけなかった視点をもらえることもあります。
勉強会での登壇を何度か経験させていただいて、発信側に立つことが、最も学びが多いなぁと実感しています。

 

理=学びを体系化し再現可能な知恵に変える

 

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「集発理」の「理」

複数の師から学んだことを実践することで、自分の環境で実際に使えるノウハウとしてまとめます。集→発→理は繰り返し行うことでより洗練されていきます。

 

追記:何度か登場した、書籍『独学の技術』に、アインシュタインの思考プロセスを図示したものが掲載されていました。
これ、まさに集発理の概念通りじゃん!と一人興奮したので、ここでも紹介します。

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アインシュタインの思考プロセスの概念図

簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。簡単な解説が入ります。


以上、複数の師匠から学び(集)、学んだことを自分の現実に照らして実行して(発)、応用できるノウハウとしてまとめる(理)という「集発理」の学びを継続・習慣化することで、一人の師に学ぶよりも速く、実践的な学びを得ることができ、この変化の激しい時代を楽しく漕ぎわたっていけるのではないかと考えています。


4.おわりに

ビジネスパーソンが学び続ける必要性と、今の時代に合った学習の型(フレームワーク)として「集発理」を紹介しました。


「学ぶ必要があるから学ぶ」という発想も、きっかけとしては機能すると思いますが、しかし、いちばん大切なことは「学ぶことは楽しい」ということを思い出すことじゃないかと感じます。

小さな子どもの頃、僕たちは誰に強制されるでもなく、新しいことをどんどん学んでいきました。それが学生になり「進学や就職に有利」といった良くわからない理由で「学ばねばならない」という価値観が染み付いてないでしょうか。

かつての僕は、そうでした。

 

でも、今は違います。

学ぶことで実力がつき、自分以外の人に喜んでもらえる、貢献できることの喜び。
学ぶことで、世界の見え方が変わってくる。
パっと視界が拡がり、可能性が拓けてくる。
人生が楽しくなってくる。

 

学ぶとは、世界を知ること。

世界を知ることは、「まだ自分が知らない」ということを知ること。
それは、人間が本来持っている根源的な欲求ではないでしょうか。

学び続け、成長し続け、新しい発見にワクワクしながら進んでいきたいものです。

最後まで、お読みくださりありがとうございました!(ほ)

 

P. S.
欲求というキーワードで思い出しましたが、マズローの欲求5段階説を表すプラミッド型の図に以前から違和感があります。
これは、また別の機会に書いてみたいと思います。

 

 考えをまとめる上で参考になった本など

 

知的戦闘力を高める 独学の技法

知的戦闘力を高める 独学の技法

 

 

 

40歳が社長になる日 (NewsPicks Book)

40歳が社長になる日 (NewsPicks Book)